先日こんな記事を書いて、芸術家たちの破天荒っぷりはとどまるところを知らず、てなわけで超女好きやら同性愛やら、そんなものは当たり前ですやん、と述べました。
生み出された芸術に、非は無い、という主張ですね。
→【ゴシップ誌が泣いてよろこぶ】クラシック音楽家のゴシップ偉人列伝
そんな感じで、ジェームズ・レヴァイン(James Levine)ネタを見ていたらボストン交響楽団がTwitterに以下メッセージを載せていました。小澤征爾の後任として2004年から2011年まで音楽監督を務めていたのですね。
Statement from the @BostonSymphony pic.twitter.com/9y0lT1Tb75
— Boston Symphony (@BostonSymphony) December 3, 2017
コメント欄には「知らなかったわけねーだろ」的なモノが並びますが、まぁ公式文書として調査の結果を述べておくことは重要。こういうハラスメント系に関しては敏感に反応して対応するのがアメリカという国の文化なんでしょうね。
「え?少女じゃなくて少年?」という部分にツッコミは入らない。
という前段ネタは、たまたまレヴァイン(レバインじゃなくてw)の4代前のシェフ、シャルル・ミュンシュ(Charles Munch)指揮のボストン交響楽団によるこの録音を聴いていたから。
サミュエル・バーバー(Samuel Barber、1910年~1981年)による『弦楽のためのアダージョ Op.11(Adagio for Strings)』。
元々は弦楽四重奏の緩徐楽章であったものを弦楽合奏用に編曲、J・F・ケネディ大統領の葬儀に使用され、またオリバー・ストーン監督の映画『プラトーン』テーマ曲にもなった為か葬送の曲のように扱われますが、これに対してBarberは不満を漏らしていたようです。
タペストリーのように息の長い旋律が折り重なって、ひとつのうねるようなメロディを構築していく様は息をのむばかりの美しさになり、祈りを想起させるような、静謐な響きが人々を惹きつけてやまない名曲のひとつに数えられます。
この録音、ミュンシュ指揮により暖かみのあるトーンでゆっくりと進んでいくのですが、22小節目のチェロの跳躍音型が思いっきり音を外しており、「あぁん?」となってしまうのですが、それは思い余ったものと解釈してあげるとするならば、とても素敵な演奏です。
冒頭、ゴシップネタを持ち込んだのは、1910年生まれのバーバーさん、在学中からオペラ作曲家、脚本家のジャン・カルロ・メノッティ(Gian Carlo Menotti)と40数年にわたりパートナーの関係を継続、っていうネタも見つけて、戦前からオープンだなぁと(実際は色々と偏見とも戦ったのでしょうが)思ったのと、だからってやはり作品を見る目は変わらないのだな、と思った次第。
ちなみに初演はアルトゥール・トスカニーニ指揮/NBC交響楽団。
モノラルですけれども録音も残されています。昨今の演奏よりも淡々とテンポも速めに歌い込んでいくイメージで、コレもまた美しいのです。
フラット5つのB flat minorというところがややこしいんですけどね。
弾こうとすると。そして息の長いフレーズに弓が追い付かない。
足りない、あと5㎝!!
というところで、また次回。