【新しいヴァイオリン教本】第5巻 ~ ヘンデル ソナタ二重奏 ~

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ヘンデル ソナタ二重奏

Trio Sonata in G minor, HWV 393
By Handel, George Frideric

これはモノラル録音で若干古さは感じるものの、ゆったりとしたテンポのなかで集中力途切れることなくデュオで歌い続ける良きお手本となっている。

収録状況は以下の通り。

【収録情報】
・パーセル:トリオ・ソナタ第9番ヘ長調 Z.810『黄金のソナタ』
・ヘンデル:トリオ・ソナタ ト短調 HWV.393 (Op.2-8)
・ヴィオッティ:二重奏曲ト長調(ペータース版、第2巻第3番)
・シュポア:二重奏曲ト短調 Op.67-3
・シュポア:二重奏曲ニ長調 Op.67-2

ジョコンダ・デ・ヴィート(Gioconda de Vito):ヴァイオリン
ユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin):ヴァイオリン
レイモンド・レッパード (Raymond John Leppard):ハープシコード
ジョン・シャインボーン(John Shinebourne):チェロ

録音時期:1955年
録音方式:モノラル

これ以外に色々と検索してみたものの、古楽器による演奏、チェロの二重奏、オーボエ二重奏といった録音ばかりで、あまり良いものが見つかりませぬ。

しかし、このゆったりしたテンポで付点のリズムってホント難しい。
ノーブルな感じが全然でないうちに盆踊りになってしまう日本人の悲哀を感じちゃうのです。
平たく言うと、この符割りは日本語のリズムが乗りやすいから、っていうのと、盆踊りや民族音楽にも出てくるリズムで、原始的で情熱的な躍動を感じさせるリズムでもあるのですが、そうなると思いっきり自己に根付いたリズム感が丸裸になるのでカッコ悪い、と言うことになるのですね。

ところで、このジョコンダ・デ・ヴィート。
Wikipediaによるとイタリアの女性ヴァイオリニストとのこと。

1907年に南イタリアのマルティーナ・フランカに、中流の葡萄園主の娘として生まれ、1914年から地回り楽団のマスターについてヴァイオリンを学び、数年後には近くのペサロ音楽院でレミー・プリンチペに師事したが、2年間であらゆる賞を総なめにしたため、中途でパリ音楽院に移る。1921年、ヴィオッティのヴァイオリン協奏曲第22番の第1楽章を弾いて同院を卒業、1921年に16歳でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾いてデビューしたが、演奏活動を本格化せず、パリ音楽院に留学して更なる研鑽を積んだ。同年、パリ音楽院のヴァイオリン科助手となるも、まもなく辞任。1932年にウィーン国際ヴァイオリン・コンクールで優勝したが(25歳)、その後も余り演奏会には出演しなかった。1934年サンタ・チェチーリア国立アカデミアのヴァイオリン科教授に就任して後進の指導に当たり、1942年に35歳でブラームスのヴァイオリン協奏曲でローマにデビュー(同曲には11年間もの研鑽を積んだという)、一躍イタリアヴァイオリン界の女王として楽壇の寵児となり、1944年37歳にしてサンタ・チェチーリア国立アカデミアのヴァイオリン科終身教授に任命された。1946年訪英してEMIの重役であるビックネルと知り合ったことが契機となり、1948年から同社で録音を始め、1951年にビックネルと結婚する。1962年4月に突然楽界から引退し、その後は二度と楽器を手にすることはなかったという。引退後はイギリスのハートフォードシャーで生活したが、1994年10月にローマで死去した。

よくよく読み込むと、それこそファシズムの息づいていたイタリアに生きて、あのムッソリーニが彼女のために1690年製ストラディヴァリ「トスカーナ」を購入しようと企てたり、あの名指揮者トスカニーニの前で演奏して絶賛されたり、と歴史を感じさせるエピソードを数多く持っているそうな。

ブラームスやメンデルスゾーン、バッハを得意としたらしいけれど、ごく一部の曲に限られたながらも、そのどれもが一夜でスーパースターになれるくらいに圧倒的だった、というあたりからしても、本当はもっと後世で語り継がれるべきヴァイオリニストなのかもしれないですね。

くう~。
ということで、また次回。

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