ダヴィッド・フョードロヴィチ・オイストラフ(David Fiodorovich Oistrakh、1908年9月30日 – 1974年10月24日)は、ソ連(現在はウクライナ)のオデッサ出身のユダヤ系ヴァイオリニスト。
オイストラフは学生時代はヴィオラを演奏しており、生まれついてのヴァイオリニストではなかった。1935年のヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでは、15歳のジネット・ヌヴーに敗れて、第2位に甘んじている。名ヴァイオリニストとの評価が広められたきっかけは、1937年、ブリュッセルのウジェーヌ・イザイ・コンクール(現:エリザベート王妃国際音楽コンクール)の首位を得てからであった。
アウアーの系統を引くバイオリン奏者だが、技巧重視、情緒偏重のアウアーのスタイルを克服し、安定した技巧のうえに、作品の内容を直截(ちょくせつ)に表出する格調の高いスタイルを築き上げ、後進に大きな影響を及ぼした。バロックからロシアの現代音楽まで、レパートリーの広いことでも有名。
自分にとってリアルタイムで演奏を体験したかった演奏家は二人いる。
一人はハイフェッツ、そしてもう一人はこのオイストラフである。
朗々と歌いまくる部分もいわゆるラテン系バイオリニストにありがちな、元気と幸せ100%とは違った、憂いを含むと言えばよいのか、ノスタルジックというか、上手く表現出来ないけれども一種の物憂げな、そういったベクトルを感じる演奏家である。技術的なことに関しては最早「怪物」と表現するほか無い、第二次世界大戦を挟んだ時代ハイフェッツと双璧を成した大演奏家なのである。
彼の演奏するチャイコフスキーやシベリウスなんてそりゃあもう最高ですよ。
色々とCDレビューなどを読み解けば、数多くの録音はソビエト連邦の厳格な社会主義体制で抑圧された人々にとって唯一の娯楽であり、演奏会はそういった人々の有象無象の感情を開放する、娯楽という次元に留まらない意味合いが多分に含まれていたという。
現代人には、今の日本人には、全く想像もつかない状況下に生きる演奏家と聴き手の関係こそが、こういった大演奏家を生んだ背景なんではないかと思う今日この頃である。
(使用楽器)
1705年製ストラディヴァリウス「マルシック」
[…] ①原曲版(ダヴィッド・オイストラフ) […]
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