レオニード・ボリソヴィチ・コーガン(Leonid Borisovich Kogan、1924年11月24日 – 1982年11月17日)は ウクライナ出身のソ連の名ヴァイオリニスト。同郷の親友ダヴィッド・オイストラフに同じくユダヤ系。
コーガンは、大器晩成型のオイストラフとは対照的に、「魔神と契約した天才」と称される程の早熟の天才であった。公式デビューは1941年、モスクワ音楽院大ホールにおいて、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団との共演によりブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏した。同時期にソ連全土で演奏旅行を行う。学生時代にプラハ世界青年音楽祭で、J・シトコベスキー、I・ベズロードニーと共に優勝。また、コーガンはN・パガニーニの全作品演奏に挑み、モスクワで入手可能な作品の全演奏を達成した。奇想曲全24曲を一夜で演奏した演奏会は歴史的な演奏会として伝説となった。1951年には、ブリュッセルのエリザベート王妃国際音楽コンクールにおいて、パガニーニの≪協奏曲 第1番≫で驚異的な演奏を披露、エミール・ソーレ作のカデンツァの解釈にも卓越したところを審査委員長ジャック・ティボーに示し優勝した。また、イザイ・メダルも受賞した。
確かに聴けば聴くほど引き込まれる演奏スタイル、しかも駆け抜けるようなスピード、外さない音程、澄んだ音色、どれをとっても最高峰の演奏。鬼神の如き演奏と評されるのは、超絶技巧を駆使した光速パッセージにおいても顔色一つ変えず、瞬きもせずに弾き切ってしまうあたりに、引き込まれる為か。
(使用楽器)
グァルネリ・デル・ジェス:1726年製「エクス・コラン」
1733年製「エクス・ブルメスター」
[…] ②オーケストラ伴奏版(レオニード・コーガン) […]
[…] レオニード・ボリソヴィチ・コーガン(Leonid Borisovich Kogan、1924年11月24日 – 1982年11月17日)は ウクライナ出身のソ連の名ヴァイオリニスト。同郷の親友ダヴィッド・オイストラフに同じくユダヤ系の系譜に連なる。 […]