アルテュール・グリュミオー(Arthur Grumiaux, 1921年3月21日 – 1986年10月16日)は、ベルギー、エノー州のヴィレ=ペルヴァン(Villers-Perwin)生まれのヴァイオリニスト。
祖父の奨めにより4歳でヴァイオリンを学び、11歳になるまでに、シャルルロワ音楽学校のヴァイオリン科とピアノ科の両方で首席をとった。後にブリュッセル王立音楽院に進み、1949年にはグリュミオー自身もそのヴァイオリン科で教鞭を執った。パリに留学してジョルジュ・エネスコに入門もしている。第二次世界大戦中は、ナチス・ドイツ占領下のベルギーで室内楽の演奏旅行を行なった。
戦後になってからソリストとしての名声がうなぎ上りとなり、ピアニストのクララ・ハスキルをパートナーに迎えて演奏活動を行なった。1960年にハスキルが急死してからは、一個人としても演奏家としても虚脱感に見舞われている。グリュミオーは音楽界への貢献が認められ、1973年に国王ボードゥアン1世により男爵に叙爵された。その後も持病の糖尿病に苦しめられながらヴァイオリンの指導を続けたが、1986年に心臓発作によりブリュッセルにて他界した。
名ヴァイオリニスト数多くいる中で最もお気に入りのヴァイオリニストの一人。「ヴァイオリニスト」という響き、語感やイメージをそのまま体現したかのような、高貴で豊かな音色と、歌心溢れるあたたかい演奏で優雅なことこの上ない。グリュミオー独特のヴァイオリンの艶やかな音色と、瑞々しいまでの抒情性が抜きん出ており、同時に気高い品格を感じさせるのがグリュミオーの演奏様式の特色で、特に、グリュミオーのヴィブラートはヴァイオリンの演奏史上最も美しいと称される。
またバロックからフランス印象派の作品まで、また室内楽にも力を入れるなどマルチプレーヤーっぷりを発揮。どの作品も一番最初に聴く入門編として間違いない、すべての分野において質の高い作品を残したヴァイオリニストといえる。
個人的にはロイヤルコンセルトヘボウ管(ベイヌム&ハイティンク)と残したブラームス/ブルッフ1番のコンチェルトが、最高の出来だと思う。
それにしても何でこんなに優雅なんだろう。そして何故彼亡き後の現代のヴィルトォーゾ達は優雅という言葉からかけ離れたところで勝負をするのだろうか。
(使用楽器)
グァルネリ・デル・ジェス:1744年製「Rose」。
ストラディヴァリウス:1715年製「ティティアン(”Titian”)」
1727年製「エクス=ジェネラル・デュポン (“Ex-General Dupont”)」。
ジャン=バティスト・ヴィヨーム:1866年製(現在は「エクス=グリュミオー」として知られ、ジェニファー・コウが所有)。
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